臨床医療にかかわる問題を扱うさいに「その臨床にエビデンスがあるのか」と問うことは、正しい問いかけなのか、あるいはそうした問い自体にエビデンスはあるのか。
こうした問いの設定はすでに、エビデンスとは独立に、一種の権威や脅し、ないしは単なるジョークのしるしを帯びた問いに変質している。
このようなトリッキーな問いをあえて立てるのは、90年代以降の先進国的な医療の展開にグローバル化し、既成事実化する「EBM/科学的な根拠に基づく医療(evidence-based medicine)物語」への盲信が隠されているのではないかという素朴な疑問があるからである。
疫学的データは患者の個体差を平均化する中で獲得される。そこにおける患者は確率的存在であるが、実際に病気として診断される患者は、それをきっかけとして「生」そのものが分岐してしまう現実的存在である。
アリストテレスが、医術の普遍性を否定したのは、医者は健康一般を作り出すのではなく、個体としての人間の固有で具体的なそのつどの健康に配慮せねばならないからである。
どんな医療も個体としての人間の健康にかかわらざるをえない。しかしそのための指針は疫学的データからは直接出てこない・・・。
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