医療における倫理原則は、仁恵(beneficence)・無危害(non-maleficence)・自律(autonomy)・正義(justice)の四つである。
これらは、生命倫理学の代表的な教科書であるビーチャムとチルドレスの『生命医学倫理』のなかで提唱された。
仁恵(beneficence)の原則は、その行為を成すことによって引き起こされる利益を最大にするとともに、予想される不利益を最小限度にとどめることを求めている。
この仁恵の原則と表裏一体をなすのが、無危害(non-maleficence)の原則であり、他者(ときには自分自身)に対して意図的に危害を加えることを禁じている。「害をなすなかれ(Do not harm)」という、ヒポクラテス以来の古典的医療倫理に通ずるものである。
自律(autonomy)の原則は、生命倫理学の登場以来最も強調されていると言ってもいい原則である。
患者を独立した人格として尊重し、従来医師の裁量範囲とされてきた治療法の選択についても、患者の意向を取り入れていこうとするものである。患者を自律的に意思決定する権利主体とみなし、医師―患者関係を再構成することを試みたのである。
このことは一方で、判断能力のある成人であれば、その決定が標準的な医療から逸脱したものであっても、他者に危害が及ばない限り尊重されることを意味する。
もっとも、この『オートノミー(autonomy)』 ※1 を「自律」と訳すことに関しては、「個々人の意志に関係なく動くもの」としての「自律神経」を連想させるので違和感があるとして、これを退け「自主」あるいは『自己決定(医療上の意思決定)』という訳語を好む傾向も日本の医療関係者のなかにはある。
正義(justice)の原則は、配分における公正(disdistributive justice)の原則としても理解されている。適正な医療資源の配分や、研究成果の医療応用がもたらす利益が特定の個人に偏らないようにするための配慮などが、これにあたる。
とくに、自ら権利主張をすることが困難な、いわゆる社会的弱者の保護が課題となる。
生命倫理学は、命や健康をめぐる問題に関しての特定の倫理規範ではなく、規範の根拠について考える学問であり、しかもそれを学際的に行う領域であるところに大きな特徴がある。
生命倫理学百科事典の改訂版(1995年)によれば、「学際的環境においてさまざまな倫理的方法論を用いながら行う、生命諸科学とヘルスケアの(道徳的展望・意思決定・行為・政策を含む)道徳的諸次元に関する体系的学問」と定義されている。
生命倫理に「医者」ばかりがむらがる光景は日本だけの特殊状況と考えられる。少なくとも「生命倫理」は「医の倫理」ではない。
実際、「生命倫理(バイオエシックス)」はスケールの大きい話しであって、特定の倫理規範ではなく「学際的な英知」を要する。上記に示した仁恵・無危害・自律・正義は、「一般的倫理原則」に位置付けられる。
「インテグレイティブ・ペイシェント・エクスペリエンス(IPX)」の探究と構想において『生命倫理(バイオエシックス)』について議論することは、有意義なこと以上に、「核(コア)」であり、IPXの実現に向けて避けることのできない「命題」そのものである。
そして、医療行為における倫理の遂行、とりわけ身体への侵襲を伴う医療行為の場合に『インフォームドコンセント(informed consent)』が必要であることは、わが国においても広く認識されるようになっている。
インフォームドコンセントとは、『適切かつ充分な情報(information)を与えられた上でのconsent(同意あるいは承諾)』という意味である。
※1 オートノミー:対立のない自動的な自律。自己の行動を外部より拘束されず、みずから課した原理によって決定すること。主として人間個人の心理、神経についていわれる。心理学上は善悪が判断でき、善を選べる場合が自律であり、成人期に入ることを意味する。
1. 道徳・倫理にそのまま従う自主性。
2. 他者の介入を排した自己決定。
3. 集権的な統治をせず、各所の自治で運営すること。
インフォームド・コンセント(informed consent)
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