アークル・メディア[Media of AQAL]は、包括的かつ統合的な実践(インテグラル・アプローチ or インテグラル・プラクティス)を表現するメディアを通じ、個人(美)・文化(善)・社会(真)及び自然のダイナミックな活動への『参与的かつ共創造的パラダイムを創発するための方法論』を探求し、全ては「全人的進化(変容)」及び「自由と充足」「治癒と成長」の実現を目指し、「人生(生活・生命)の質:QOL(Quality of Life)への貢献」を目的とする、ユニークでエキサイティングな試みである・・・
第6章目となる今回の最終章では、上記に掲げました「Media of AQAL」の目的を再度提示したうえで、現代における人類の活動領域全般に対する「ラスト・メッセージ」として締めくくりたいと考えます。
現代における人類の活動領域全般は、人類史においてもっとも重大な『進化・変容の時期』を既に迎えています。
先回の説明において、自己の発達における基本的なプロセスである『1-2-3 構造』、そして『発達段階特有の病理』について触れさせていただきましたが、1-2-3 構造とは、自己の発達における基本的なプロセスであり、以下の3つの構造が挙げられることを示唆しました。
1. 融合/同一化: 自己は意識の新しいレベルへ発達ないし進化する。そして、そのレベルと同一化ないし「一つ になる」。
2. 差異化/超越: 次にそのレベルを超え始める(ないしそこから差異化する、あるいは脱同一化する、あるいは超越する)。
3. 統合/包含: 新しい高次のレベルに同一化する、あるいはそこに中心を置く。
そしてこのプロセスは、自己の発達レベルのすべての段階で繰り返されるものであり、発達の過程で「1-2-3 構造」のステップがうまく運ばない時、その段階特有の病理が発生し、それは一般的に「低次の段階でのつまずき」ほど症状は深刻であること、また発達とは、「新しい世界観の獲得」であり、「視野と自由度の拡大」であると共に、『より多くの問題、より困難な問題を担っていく』ことでもある・・・とも述べました。
現代の「グローバル世界」ならびに「高度に発展した情報社会」において、個人(美)にはじまり文化(善)、社会(真)そしてそれらを取り巻く自然環境、つまり『ビッグ・スリー(The Big Three)』は相互に関係しながら「進化のプロセス(構造)」を加速化して行きます。
ではいったい、現在の私たちはその「進化のプロセス」において、どの地点(進化のアドレス)に立っているのでしょうか?
当然ではありますが、個々によってその「発達と成長のレベル」は一概に同レベルではありません。そして、集団的内面である「間主観的領域」や集団的外面である「間客観的領域」においても、その様相は多様・重層・複雑であることは周知の通りです。
無理やり答えを出し急ぐことは、決して得策ではないとも考えられます。
しかし、現段階において「核心的とも言える盲点」、つまり真実についてその答えを議論する前において「現代人に観られる盲点ないし病理」を明らかに示し、その進化のアドレスを考察することは有効な手掛かりとなりえると考えます。
決して「逆も真なり」と言う発想で考察しようなど毛頭ありません。
つまり、先進的な世界において「人類の活動領域全般(知の領域))」が内包する『価値』については、おおよそ議論がなされ、広くその有効性や妥当性はある一定のレベルで日々明らかにされ、今や専門家でなくとも、一般の生活者はインターネットを通じ入手可能な状態です。
ですが、その価値を誇張するあまり、片側に内在する『限界(盲点)』についての議論というものは、決して「価値」以上の明確な発展的議論と言うものが公開されることは希であると言えます。
誰もが、価値を追い求めることに躍起になればなるほど、そこで見え隠れする「綻び(ほころび)」は損得勘定を伴う限り、闇から闇へと追いやるのが私たち人間の悪い癖でもあるのです・・・
現段階における「核心的とも言える盲点」、私たち人類が今まさに立たされている「進化のプロセスにおけるアドレス」については、本章を含む全6章をメニューに位置付けるならば、現実的な料理として皆さんに召し上がっていただくためのコース料理として、今後のテーマに盛り込みながら一品一品お出しさせて頂きたいと考えます。
老 子 陽 明
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