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Ⅲ.スピリチュアルの再構築と「落とし穴(盲点)」
- 2014/10/17
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- スピリチュアルな混乱
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スピリチュアルな混乱に陥っている今、ここで必要とされている「統合的な成長」とは・・・もっとも生命的な潜在力(身体的、性的、生命的、感情的、美的、想像的、ビジョン的、直観的、観想的な知)に根ざすとともに、人間のすべての次元によって『共創造(co-create)』されるものであろう。
おそらくその可能性は、多くの宗教的伝統に対して今進められている見直しの作業、たとえば、「キリスト教にとってのクリエーション・スピリチュアル(マシュー・フォックス)」、「ユダヤ教の再生と解放のスピリチュアル(マイケル・ラーナー)」、「社会にかかわる仏教(ドナルド・ロスバーグ)」などともつながっている。
そして、それらの統合的なスピリチュアルは、偏った発達のもたらす緊張や矛盾から解放されるだけでなく、人間のすべての属性の成熟と統合に基礎を置こうとする「スピリチュアルの再構築」とも捉えられる。
しかしながら、それら伝統的宗教の見直しと現代のITPに代表されるマイケル・マーフィーやケン・ウィルバーらの諸提案には、潜在的に含まれた「落とし穴(盲点)」が影を落としている。
最近では、ケン・ウィルバーらの長年の研究と考察による「インテグラル・ライフ・プラクティス」の提案によって、いくらかの実践における改良等が見受けられるが、広く一般的に理解され、実践され、そして現実的な私たちの世界(個人の生活、社会、政治、経済、文化、自然)に対する『ラディカル(根本的)で革命的な文化的衝撃(全人的・地球規模的変革)』には至っていない(まだまだ時間がかかる様相)。
逆説的に、ウィルバーが強調するポストモダンにおける『フラットランド(平板な世界)化』は、ここに来て急激に進行している。
それどころか、人々の意識的な成長の中に顕在化する、アルテカ的(古代的)スピリチュアリティー現象、単極の中の単極であるアセッション(「上昇」の道)への過度な傾倒等、それらは真のスピリチュアルと人類進化(成長と変容)から急激に遠のき、もう一方の単極の中の単極であるディセッション(「下降」の道)の世界の中で、自己肥大的ナルシズムへと変貌を遂げている。
そして、ここ数十年の間に起こった「情報革命(デジタル化)」によって、全人類の繋がりと膨大な知識の共有化が巨大になればなるほどに、あらゆる事象(情報、人、モノ、こと、金銭、そしてスピリチュアル様な物事)は、絶対的市場主義のなかでバラバラに陳列され、売買の対象となり、いまや大量生産される単なる商品および生産物として、加工・流通・消費されたあげく、余剰で期限切れの商品は無駄がすぎる棚卸手法によって廃棄処分される。
いまやスピリチュアルも、「一時的な栄養ドリンク」か「24時間のコンビニの陳列商品」もしくは「ファーストフード」のごとく、安くて気楽で手っ取り早くレジで精算でき、売れ行きが悪ければいつの間にか姿がなくなる商品群の一部として、マーケティング手法により、次々に陳列棚に並べられては損益計算書の中で減価償却され最後は処分されている。
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