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ALL Quadrants(全象限・四象限)
AQAL(インテグラル・アプローチ)の重要な特徴として、それが「メタ・パラダイム」であるということが挙げられます。
これはすなわち、AQAL(アークル)が様々な理論や思想を自分自身の立場も含めて鳥俯瞰的に一望できるような「眺め」・「方法論」を持っているということです。
これまで ALL Quadrants(全象限・四象限)のさまざまなアプローチ を見てきたましたが、人間の視野に盲点があるように、すべての方法論、すべてのアプローチはそれぞれ固有の盲点を抱えているのです。
左側の道においては「客観的な領域が盲点」となりがちであり、右側の道においては、「価値や意味といった内面的な領域が盲点」となりがちです。
ある方法論を採用して物事を見ていく際に、自らの方法論に潜む盲点に気づいていれば問題はありませんが、自らの方法論だけがすべての真実を明らかにできると主張する時、それはどのようなものになるのか?
そのような特定の象限だけを絶対的なものとする「誤謬(Quadrant Absolutism)」を犯した代表的な立場について、全象限アプローチから明らかにしていきます。
科学主義とは、感覚的に経験できるもの、またはその延長である「道具(望遠鏡・脳波測定機等)」で測定できる右側象限の「それ・それら」だけを真実探求の対象とする立場です。
科学主義の盲点は大きく二つあり、ひとつは科学主義の立場に照らせば、科学主義は真実でないということ。なぜなら科学主義という立場そのものは感覚的に観察できる右側象限にはなく、私たちの思考(心・精神)に存在するものであり、それそのものは科学主義の立場からは考察対象とできないからです。
二つ目の問題は、科学主義は右側象限だけを扱う限定的な立場であるため、人間にとって同様に重要である、内面・価値といった左側象限が無視されてしまうか、あるいは「それ・それら」の働きの結果として浅薄に扱われる傾向があるということです。
ここで注意するべきことは、経験的科学の方法論そのものが間違っているというわけではないということです。間違っているのは経験的科学の方法論のみが真実を知りえる唯一の方法であるとする立場にあります。
システム理論家は、すべてのリアリティを「右下の象限」に還元します。すべての現象を、「大きな統一システム、ネット、織物、内包秩序、統一場」のなかに織り合わされた「プロセスの総和」として述べるにとどまります。
この立場は上記の科学主義と同じ問題を共有しているばかりか、それ以上にやっかいな問題を含んでいるのです。科学主義の還元主義は主に「粗い還元主義」であり、ここではすべての内面を単に原子・素粒子の働きへと還元するだけですが、システム理論的還元主義では「微妙な還元主義」という、より複雑な還元主義の立場をとっているのです。
すなわち、すべての内面を「構造・機能として扱うという立場」です。この種の微妙な還元主義の具体例としては、「一般システム理論」「ほとんどのニュー・パラダイム」「エコロジー・ホリスティック理論」を挙げることができます。
さて、ここでハーバーマスや後期のフーコーが危機感を抱いたと言うシステム理論のある側面について触れておきます。システム理論では、「すべてのリアリティを秩序」として客観的な言語で説明しようとします。
このアプローチを生きた人間である主体に適応するとどうなるでしょうか?
主体は意味や価値を失い、「すばらしく調和の取れたシステムの全体」のなかの「機能的・道具的な部分」に成り下がってしまうのです。
ハーバーマスはこれを「生活世界の植民地化」と簡潔に要約しています。
「意味」が「機能」に還元されるこの立場の危うさの一例を挙げてみましょう。例えば、個人の意味・価値をどこから判断すればいいかという問題があるとします。システム理論の立場によると、個人の意味は行動適応の問題に還元されます。すなわち、社会の体制がどうであれ、社会によりよく適応している個人ほど、価値があり、意味があるということになります。
ここでは社会がそもそも適応に値するかどうかは問われないのです。
例えば、20世紀にドイツにおいて成立していたナチス体制が、適応に値するものなのかどうかは問われないのです。
これが「全体論的」かつ「相互に連結する秩序と調和の取れた全体」として物事を見ていこうとする、この立場の致命的な落とし穴なのです。
この理論は、すべての真実は相対的であり、普遍的な真実など何もないと主張します。しかし、この見方それ自体は、自身の立場を普遍的かつ真実であると主張しています。「絶対的なものなどない、他に優越した立場もない」としながら、そうした主張をしている自分の立場は絶対的であり、他に優越しているものと暗黙のうちに了解しているのです。
そのように、極端なタイプの相対主義者は自己矛盾を起こすことなしに自分の立場を主張できません。また、この立場はしばしば客観的な真実を無視、または、軽視して「間主観的な合意」を得ようとする傾向があります。
例えば女性と男性の区別はすべて、文化的に作られたものであるとする立場(極端なタイプのフェミニズム等)をとります。
この場合における決定的な盲点は、客観的データである男性ホルモン(テストステロン)や女性ホルモン(オキシトシン)といった要素が、人間の心(左上)や文化(左下)に与える多大な影響を無視したり、あるいは隠蔽しなければ主張できないというものなのです。
「あなたがたまたま好きなものが真実の最終的な審判官」です。ここでは、すべての客観的、間客観的、間主観的な真実は、単に主観的な好みへと還元されます。個人的な好みだけがリアリティの審判官となっているのです。
「左上の象限」である審美学的な判断を、「左下の象限」である相互理解と文化的適合、「右側の象限」である科学的真理と機能的適合と統合することは絶対に必要です。
単なる審美学としての知の理論は不正確なもので、それは間主観的な善性や公正性の問題を扱えないばかりか、真実の客観的側面をも捨て去ってしまいます。何故、美学だけがうまく機能するのかを説明しようとすると、他の象限から「密輸」(hijack) せざるを得ず、結局、自己矛盾を起こしてしまうのです。
いかがでしたでしょうか。
あらゆる理論やノウハウ、あるいは方法論には、それぞれに「真実と盲点(あるいは価値と限界)」が存在しています。
次回は、「ALL Levels(全レベル)」について考察してみます。
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