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Ⅰ.スピリチュアルへの認識と弊害
- 2014/10/15
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- スピリチュアルな混乱
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現在、多くの宗教的伝統にかかわるスピリチュアル・リーダーやサイコスピリチュアル(心理的・霊的)なプラクティス(修行・実践)の研究者や専門家、及び探究者(教師・指導者・実践者)たちの間では、人間は「統合的な成長(integral growth)」が重要だという共通の認識が芽生えている。
統合的な成長とは、人間のすべての次元(身体・本能・性・ハート・マインド・意識)を統合し、完全に身体化されたスピリチュアルな生へと発達してゆくプロセスを意味する。
こうした共通認識が生まれる背景には、偏った発達が多くの弊害を生み出すという自覚があるからだ。
そして、この分野を探究し育んでいくための重要な研究者たちが指摘するには、どんな伝統のスピリチュアルな指導者や教師でさえ、偏った発達を示している。
たとえば、認識とスピリチュアルな機能の面では大変すぐれていても、倫理的な面では因習的であったり、対人関係や感情面や性的行動の面では機能不全だったりすることがある。
発達がバランスを欠いていると、真剣に取り組んでいるスピリチュアルな努力の多くが、身体や性や感情のレベルで生じる葛藤や傷によって損なわれてしまう。
スピリチュアルな探求者はあまりにもしばし、自分の抱くスピリチュアルな理想と自分のなかの本能的、性的、感情的な欲求との間の緊張に悩まされる。そして、誠実な意識的な意図をもっていたとしても、無意識の衝動パターンや習癖に繰り返し陥ってしまうのである。
さらには、サイコスピリチュアルな発達が偏っている場合には、人間の開花だけでなく、スピリチュアルな認識力にもマイナスの影響を及ぼしかねないのである。
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