標準化・医療化されつつある「スピリチュアル・ケア」

現在、医療現場において、臨床心理学や行動心理学の知識に基づく「心のケア」が普及しつつある。

しかし、心のケアは諸刃の剣である。

 

心理学の多くは、人の心を判断し、評価する。各種の標準化された心理テストでは、人々の行動や心理状態を正常と異常の軸の間で評価しようとしたり、人々の心の状態や「人格=パーソナリテイ」を類型化したりする。類型化された人格には当然、社会に適応的でないものなど、好ましくないタイプが定められている。

一見響きのよい「心のケア」には、人々の行動や心理状態を、心理学が規定する「適応」や「成長」といった好ましい状態へと修正し、矯正しようとする性質を抱えているのである。

 

近代医療システムが人々を管理し統御する、ある種の装置であることが、これまでの医療人類学や医療社会学の研究で明らかにされてきた。

この管理しやすい患者を再生産するシステムという問題点が改善されずに、「心のケア」というツールだけが持ち込まれた医療現場はどうなるのだろうか。

 

今、このような問題点を抱えた「心のケア」にひき続いて、「スピリチュアル・ケア」の重要性が問われている。

 

日の前には、隅々まで浸透してしまった近代医学システムという大きな壁が存在している。

医療システムに取り入れられた心のケアが抱えている問題点を考えると、「心」の上位概念である「スピリチュアルな領域」を扱ってゆくうえでの問題点はさらに深刻になると考えざるを得ないだろう。

 

医学系データベースMEDLINEと看護学系データベースCINAHLにおいて、「スピリチュアリティ」をキーワードにした英文論文数が、1994年以降急激に増加している。また、2005年に日本医師会によってまとめられた「知っておくべき新しい診療理念」にも、「スピリチュアリテイ」の項目が設けられた。

そこでは、スピリチュアリティを、末期癌やHIV感染症などの患者だけではなく、より広範な疾患患者の治療過程において重要な側面だとしている。また、欧米のスピリチュアリテイに最も近い日本語として、鈴木大拙の「霊性」を取り上げつつも、それを、宗教や宗教的慣習から独立した「普遍的本質」として捉えることを推奨している。

また、WHO等の先導によって医療界では、「スピリチュアリティを標準化」し、将来的には定量的にスピリチュアリテイの状態を計測できるようにしようとする動きが認められる。

世界における保健を実践してゆくという観点からみれば、スピリチュアリティという曖味な概念の中に、普遍的な要素を探るということに価値はあり、健康を支える概念の一つとして、ある程度標準化する必要性があることも否定できない。

 

しかしこの歩みは、近代医学・科学モデルを取り込んだ心理学が、ひとのこころを標準化し、その状態を測定しようとしてきた道に酷似している。

 

WHOが提示したスピリチュアリティの概念は、あくまでも四大宗教研究家とQOL研究家によるトップダウンなものであり、一般の生活者の視点からボトムアップに形成されていったものではなく、「人々の観念と乖離」がある。

それは、スピリチュアリテイという言葉を使う人々が、医師・カウンセラー・心理学者・教師・宗教家などのヒューマンケア専門職の者ばかりに限られているという事実である。

ヒューマンケア専門職が、ケアの根底に「成長」という理念をおき、「宗教的でないけれどスピリチュアル(spiritual, but not religious)」という言葉に象徴されるように、特定の宗教をイメージさせずに利用可能な便利な概念としてスピリチュアリティを用いている。

 

すなわち、スピリチュアリテイという用語利用の背景には、一般の生活者の視点ではなく、専門家達の思惑が錯綜していると考えられるのである。

 

ここで大切なのは、このスピリチュアリテイという概念を医療に導入するメリットが何処にあるのか、ということであろう。もちろん、そのメリットは医療者という専門家だけでなく、病苦を抱える患者という生活者にもたらされなければならないのはいうまでもない。

医療社会学者であったイリイチ( I . Ill i c h , 1 9 7 5指)が指摘した「医療化( m e d i c a l i z a t i o n)」は、医療の知識と技術が、臨床の場を超えて人々の日常生活に浸透してゆき、直接的には医療と関わりのない様々な活動においても医療専門家が大きな権限を持つようになることを意味する。

 

すなわち、知らず知らずのうちに、日常生活が医療の支配・影響・監督下に入ってゆくことである。

 

現行のWHOの健康定義:「Health is a state of complete physical,mental and social well―being and not merely the absence of disease or in―firmity;健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない(昭和26年厚生省官報掲載)」も、これまでに様々な問題点が指摘されてきている。

その一つに次のような批判がある。医学や健康の専門家に、「社会的に良好な状態(social well being)」の実現までも任せることで、政治的・経済的・社会的なものを含んだすべての問題を「健康」の問題に帰してしまうという危険性である。

これは生活のすべてを、ヘルスケア・システムをコントロールする者たちの管轄下においてしまう志向性に基づくものであり、まさに人々の生活が医療化される危険性を助長することを意味する。

 

「スピリチュアリテイ」は極めて多様な概念であり、人々の様々な宗教性や生きる意味や生きる価値などに関連した、文化の深層につながった深く幅広い概念である。

 

人の生(Life=生命・人生)が管理・支配されようとしている近代社会において、医療・健康の名のもとに、この極めて多様性に富んだスピリチュアリテイまでも、医療専門家に委ねてしまってよいのだろうか。

 

答えは当然「否」であろう。

 

IPXでは、このような標準化・医療化の波にのまれないような、「スピリチュアリテイヘの関わり方」として、この問題を解決する一つの方向性として「ナラテイブ・アプローチ」に注目している。

 


 

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