「EBM/科学的な根拠に基づく医療(evidence-based medicine)物語」への盲信

 

臨床医療にかかわる問題を扱うさいに「その臨床にエビデンスがあるのか」と問うことは、正しい問いかけなのか、あるいはそうした問い自体にエビデンスはあるのか。

こうした問いの設定はすでに、エビデンスとは独立に、一種の権威や脅し、ないしは単なるジョークのしるしを帯びた問いに変質している。

このようなトリッキーな問いをあえて立てるのは、90年代以降の先進国的な医療の展開にグローバル化し、既成事実化する「EBM/科学的な根拠に基づく医療(evidence-based medicine)物語」への盲信が隠されているのではないかという素朴な疑問があるからである。

 

疫学的データは患者の個体差を平均化する中で獲得される。そこにおける患者は確率的存在であるが、実際に病気として診断される患者は、それをきっかけとして「生」そのものが分岐してしまう現実的存在である。

アリストテレスが、医術の普遍性を否定したのは、医者は健康一般を作り出すのではなく、個体としての人間の固有で具体的なそのつどの健康に配慮せねばならないからである。

どんな医療も個体としての人間の健康にかかわらざるをえない。しかしそのための指針は疫学的データからは直接出てこない。

さらに、現状においてエビデンスが確保されていない医療分野ではどのような臨床の組み立てを行えばよいのか、最適な治療はどのようにして選択されるのかも、エビデンスからは出てこない。それゆえ上記の問いは、今後の医学や医療そのものの可能性と限界にかかわる問いでもある。

 

臨床医学は本来「不確実性のサイエンス」だといわれる。

現在、日本の医療分野では、カナダやアメリカ、イギリス医学界を席巻している「根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine)」の導入および進展が盛んである。

2000 年には日本でも『EBM ジャーナル』という専門誌が刊行され、さまざまな誤解を伴うEBMの内実を克明にし、臨床の現実に届く行動指針となるよう、最新の知見の紹介が行われてきた。

ここでいう「エビデンス(根拠)」とは、臨床試験的な根拠であり、より精確には統計的手法を介した疫学的データに裏打ちされている根拠ということである。

したがって必ずしも生理学的、生物学的病態メカニズムの解明と軌を一にしているわけではない。つまり、なぜそうなるのかの機序は分からなくても、疫学的に有意なパーセンテージで患者の疾病からの回復や悪化、あるいはそのリスクが数量的に判定できる、そのための根拠ということである。

 

ただし疫学調査が示すのは、強弱のある相関性であり、そこに近代的意味での因果は直接見出されない。

 

その意味では、EBM の進展は図らずも病気や疾病といった事象には必ず原因と、その機序があるという「病因論(etiology/Ätiologie)」を維持することの限界ないし極致を露わにしたともいえる。あるいは、要素還元主義による近代的病因論の乗り越えである。

現在の医療行為の組み立ての力点は、患者は原因が明確な病気にかかり、それを除去(治療)する という「原因療法」ないし「特定病因論」という発想から、何が疾病を引き起こすかは決定不能であり、その機序も不明であるが、統計的にリスク要因を特定し、それらを管理することで健康維持ができるという「予防医療」ないし「多因子病因論(multifactorial etiology)」へと移行している。

 

そもそも医療の対象となる患者は、生物学的な特性に限っても年齢や性別、体格や体力の違いはもちろん、体質や既往症にいたっては、遺伝子レベルでの差異が明らかに認められる場合もある。したがって、同じ治療や薬剤を採用したとしても、その効果や副作用に至るまで患者の反応はさまざまであり、どの場合をとっても同一の条件のもとで同一の医療行為から同一の治療結果が得られるというわけではない。

そこで現在医師が治療方針を決定する際に指針とするのが、最新の医療情報に基づいて統計的、確率論的に整理された一連のデータである。もちろん治療方針の決定に際しての臨床データの活用自体は目新しいものではなく、「臨床疫学(clinical epidemiology)」と呼ばれ、以前から医療現場で一般的に用いられた手法であった。

しかし、数少ない「症例研究」に頼らざるを得なかったかつての「臨床疫学」とは異なり、今日ではインターネットを介して日々更新される世界中の臨床研究のデータベースから、常に質の高い医療情報を入手することが可能となった。

 

しかし、EBMの展開は、化学物質や生体構造の変化の機序を明らかにする基礎研究と、その臨床応用の間の溝の拡大も引き起こしている。

 

たとえば、すでに認可されている抗がん剤の多くが、臨床的には患者の生存率にほとんど寄与しないというデータや主張が出ている。

基礎研究におけるタンパク質あるいは分子構造レベルで実証される薬剤の治療効果が、細胞の集合体としての人間という臨床レベルでは通用しないか、副作用の増大を引き起こし、生存率の向上に寄与しないというのである。

かりに生存率に差がないとすれば、患者の今後の生き方(QOL)に配慮した上で、抗がん剤を用いるか、用いないかの選択肢を「臨床データの提示(インフォームド・コンセント)」とともに患者に提供する仕組みが必要になる。

 

この局面でもすでに医療行為は調整課題である。

 


 

By

コメント

サイト内検索