インテグレイティブ・ペイシェント・エクスペリエンス(IPX)の中心となる目的

現在、「インテグレイティブ・ペイシェント・エクスペリエンス(IPX)」の探究及び構想に着手するに当たり、現代の医科学界(アカデミック)における様々な知的作業について「キーワード抽出(リーディングス)」しながら、IPX実現に向けての「コンテクスト・リテラシー」なるものをお届けしている。

先述の後記において、現代の情報化社会の中で見失ってはならないものが我々には在り、それは「人間理解」であると同時に「人間回帰」であることを指摘した。

決して、ヒューマニズムを掲げ『人間中心主義』を訴えているのではなく、認知科学などにおける「自己意識」の研究を例に、それらが何らかの意味で問題とされてきたことは、認知科学の領域で言えば、これまでのところ「知覚、思考、知識構造」などの研究が主流であり、人間の自己意識そのものが認知科学のテーマとして真正面に据えられることは少なかったように思われるからであった。

 

そして、そのような傾向は往々にして我々の日常生活とそれを取り巻くあらゆる社会的活動にも、少なからずとも影響を及ぼしながら人間を麻痺させて行く。

 

特に医療に関しては、「その社会を偽りなく写す」領域であり、如何なる知的領域(諸科学)に従事する者においても、また、一般の者においても決して見失ってはならない人間領域であることを忘れないでいただきたい旨をお願いした次第である。

 

幾分、乱筆になるかもしれないが、

今回は「インテグレイティブ・ペイシェント・エクスペリエンス(IPX)の中心となる目的」について掲げておきたい。

 

第一の目的は、協同的に形成された問いに対して、個人的および集団的に探究をおこなうことであり、

そのさい「統合的な知(integral ways of knowing)」をもたらすような方法を用いることである。

すなわち、ここでいう統合的な知とは、「人間のすべての次元(人間の諸次元:身体、生命力、ハート、マインド/意識)」をふくみ、

それらが同様に探究の過程に貢献するような知のあり方であり、

この人間の諸次元には、身体、生命世界(vital world)、ハート、マインド、そして意識がふくまれる。

 

第二の目的は、「インフォームド・コンセント」

あるいは「患者の自己決定」を重視する、いわゆる「患者中心型の医療(patient centered medicine)」のなかで、

医療者と患者とが協力して治療や健康増進に取り組む、

参与的かつ協同的な方法として「協働の医療(collaborative medicine)」を打ち立てることである。

 

(a)すべての参加者が等しく協同の探究者となること。つまり、参加者全員が参与的方法についての、探究上の諸決定に完全に関与するということ。(b)つぎつぎに生起する経験とふりかえりの連続的なサイクルをともに歩み抜いてゆくこと。(c)認識を単なる概念的な知(「命題的」なもの)にとどまらせるのではなく、それをさらに「体験的」「表現的」、そして「実践的」な知にまで拡大してゆくこと。

 

「インテグレイティブ」、つまり「統合的アプローチ(インテグラル・アプローチ)」は、探究プロセスのなかに人間のすべての次元を意図的に統合していくことから生みだされる。

つまり探究のプロセスのなかで、すべての次元/レベル(ボディー・ハート・マインド)が「共創造的(コ・クリエイティブ/co- creative)」に参与するということである。(より身体化され、共創造的で、統合されたアプローチ)

 

「参与的アプローチ(パーティシパトリー・アプローチ)」は、人間のすべての次元の認識力を活性化し、それらが協同してよりホリスティックな知識の構築をはかれるようにする。(身体と知のさまざまなレベルを総動員して自己、他者、そして「あいだ」を探究することは、場合によっては参加者の生き方を変えるほどに強力なものとなりうる。)

マインド中心のアプローチやブリコラージュ的アプローチでは決して到達できない「マインド中心のパラダイム」を超えた知の多様・重層性を認識し、それに直接ふれ、それを利用すること。

一体性、コミュニオン、そして非二元性が、身体をともなう接触のなかであらわれてくる。これが起こるのは、私たちが安全と信頼にみちた空間をつくりだし、「あいだ」に対して真に開かれているときである。

 

統合的で、包括的で、ホリスティックなIPXとは、つまり、人間存在のすべての主要な次元(身体的、生命的、感情的、心理的、霊的次元)をかかわらせるものである。(人間の諸次元:身体、生命力、ハート、マインド/意識)

 

「あいだの領域」の概念化・・・「あいだの領域」という表現は、最初マルティン・ブーバー(Buber, 1970)によって使用されたものである。(しばしば「あいだ」と呼ばれるものの、三つの経験領域を区別して述べていく。つまり、「一体性」(oneness)、「コミュニオン」(communion)、そして「非二元性」(non-duality)の三つである。)

 

認識論の枠組みを拡大し、「知る」ということを、体験、表現、命題、実践といった一連の次元に分けてとらえている。

「体験的な知」(experiential knowing)は、世界と他者に対する直接的な体験をとおして得られる。それは探究の変容的な結果へと導くもので、すなわち、探究に参与する人の内的存在や行動に変化をもたらす。

「表現的な知」(presentational knowledge)は体験的な知のなかから生じてくるもので、その体験と出会いの意味を、非言語的あるいは非概念的な方法(たとえば、美的あるいは行動的な仕方)で表現することによって生じる。

「命題的な知」(propositional knowledge)はさらにすすんで体験と表現を、観念や思想や言語的表現に定式化し、情報的価値をもつ成果や言明のかたちで経験を概念化する。

最後に「実践的な知」(practical knowing)は、得られた知を特定の交流、行動、あるいはスキルへと適用することである。

 

協同的探究の方法論上の独創点は、学習のこれら4つの次元が、探究と知の形成プロセスのなかに積極的、明示的、意図的に組み入れられている点である。

命題的・表現的成果は「個人から分離可能」(それらは外的媒体をとおしてシンボル化されてはじめて存在する)であるのに対して、体験的(変容的)・実践的成果は「探究者から分離不可能」(それらは個人に内在する存在の質やスキルである)である。

 

イニシエーターやファシリテーターは「方法論的ノウハウやファシリテーションによる導き」といった点において概して大きな役割を果たすのだが、しかし協同的探究はこうした役割の差異が取り払われてゆく方向に動いていくものである。(このような手法では、参加者がそれになじむようになるまで、かなりの程度、指示的なファシリテーションが必要とされる。)

 

第三の目的は、「インテグレイティブ・ペイシェント・エクスペリエンス(IPX)の中心となる目的」が、実は特定の疾患者や患者の抱える疾病を治癒すると言う枠組みを超えて、全ては人々の「生活の質(quality of life:QOL)」を如何にして向上しうるかに大きな目的を置いている。

 

つまり、「通常の医療行為(現代西洋医学)」のみに固執するのではなく、また、安易に「補完代替医療(コンプリメンタリー・オルターネイティブ・メディシン:CAM)」に傾倒するのではなく、あるいは、近年注目されるそれらを組み合わせた「統合医療(インテグレイティブ・メディシン)」を単に概念的に推進するものでもない。

 


 

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