人間の主体性の核『メタ認知(meta cognition)能力』

先述の「自己効力感(self-effi cacy)」及び「エンパワメント(Empowerment)」のいずれにおいても、ひとりの人間、つまり『自己の主体性』に対する認識と視点についての探究のみならず、その『潜在的能力の発現』を目指している。

自己効力感理論の提唱者であるバンデューラは、人間の主体性の核心として次の四つをあげ、①意図性、②事前考慮、③自己反応性、④自己内省性であることを指摘した。

つまり主体性は、①行為が意図的に行われること、②将来の出来事を予想して自分を動機づけ、自分自身の行動を計画しガイドすること、③思考と行為を結びつける自己調整過程を通して自己指向性を作用させることである。さらに、④自分自身や自分の思考と行為の妥当性を熟考する『メタ認知能力』が主体性の核であるとしている。

 

また、保健医療福祉実践や企業活動における「エンパワメント」には、人は誰もがすばらしい力を持って生まれ、生涯にわたりそのすばらしい力を発揮し続けることができるという前提がある。

そのすばらしい力を引きだすことがエンパワメントであり、ちょうど清水が泉からこんこんと湧き出るように、「一人ひとりに潜んでいる活力や可能性を湧き出させること」がエンパワメント(湧活)である。

但し、エンパワメントの概念が焦点を絞っているのは、人間の潜在能力の発揮を可能にするよう平等で公平な社会を実現しようとするところに価値を見出す点であり、たんに個人や集団の自立を促す概念ではない。

エンパワメント概念の基礎を築いたジョン・フリードマンはエンパワメントを育む資源として、生活空間、余暇時間、知識と技能、適正な情報、社会組織、社会ネットワーク、労働と生計を立てるための手段、資金をあげ、それぞれの要素は独立しながらも相互依存関係にあるとしている。

 

しかし、私自身は「エンパワメント」が如何なる概念的定義であれ、医療や福祉などの実践では、一人ひとりが本来持っているすばらしい潜在力を湧きあがらせ、顕在化させて、活動を通して人々の生活、社会の発展のために生かしていくこと。

また、企業などの集団では、社員一人ひとりに潜んでいる活力や能力を上手に引き出し、この力を社員の成長や会社の発展に結び付けるエネルギーとするなど、組織、集団そして「人(自己)」に求められるエンパワメント(湧活)は『主体的自己の新たな能力の発見とその発現』と観ている。

 

そこで必要とされる能力として「自己内省」、つまり、「自分自身や自分の思考と行為の妥当性を熟考(私は主体的自己の新たな能力の発見とその発現と指摘しておく)」する『メタ認知能力』が主体性の核となるのである。

 

われわれが自己を意識するためには、自らを高次レベルからとらえて対象化することが必要であろうが、このような認知のしくみは、認知科学では「メタ認知 (meta cognition)」とよばれることが多い。

メタ認知とは、簡単にいえば「認知に関する認知」といった意味合いである。

メタ認知といわれた場合、自己を意識した結果として生じた知識的側面(例えば「私はものを書くのは得意だが、しゃべるのは苦手だ」といった自己の認知についての高次の知識であり「メタ知識」と言われる)が強調される場合もあるが、ここではこの概念を「自己の認知プロセスや状態の監視や制御」という機能的・活動的側面としてとらえた代表として、認知心理学者のネルソンとナレンズのモデルをまずは概観してみたい。

 

ネルソンらは人間の認知過程を以下の三つの原理によって説明しようとする。

まず人間の認知過程は二つ、もしくはそれ以上の相互に関連したレベルに分割され、それらは「メタレベル(meta-level)」「対象レベル(object-level)」の認知過程とよばれる。

次に両レベルは「コントロール」と「モニタリング」という関係によって結びついている。そうして、メタレベルの認知過程は対象レベルの不完全なモデルを含むというものである。

まず二つのレベルの認知過程の関係であるが、ネルソンらは、両レベルの認知過程は二つの方向の異なる並列的な情報の流れによって結合されており、メタレベルから対象レベルへと向かう情報の流れはコントロール関係を成立させ、対象レベルからメタレベルへのそれはモニタリング関係を成立させることになると想定している。

メタレベルの認知過程は、前者のコントロールによって対象レベルの認知過程を修正し、行動の開始、行動の継続、行動の終了、目標の設定、計画、方法の修正などをおこなうことができる。しかし単なるコントロールだけでは対象レベルからの情報がまったく得られず、状況に適応した行為が選択できないことになるので、自己の認知過程のモニタリングをおこなう必要がでてくる。

ネルソンらは、このモニタリング機能によってわれわれは物事が理解できないという気づきを持ったり、ある物事を思い出せないが何となく知っているような感じ「既知感(feeling-of-knowing)」を持ったりすることができるとしている。

また認知過程のレベル分割については、ネルソンらはメタレベルと対象レベルというわけ方は、絶対的なものではなく、これらは二つ以上に細分化されうるものであるとしている。

つまりあるものがメタレベルの認知過程であったとしても、さらに上位の認知過程にとってみれば、それは対象レベルとしての役割を果たすのである。

ただし彼らは、この階層分割は裁判システムに最高裁があるように上限のあるものだとしている。

さらにネルソンらのモデルにおいては、メタレベルの認知過程のうちに対象レベルのモデルが埋め込まれていると考えられている。

この埋め込まれたモデルは、対象レベルの正確な写しでなく不完全なもので、モニタリングによって受け取られた情報によってその状態が刻々と修正されてゆくとされる。

 

このようなメタ認知的観点によれば、「自己意識」とは、適切な方略を選択するために対象レベルの認知プロセスをモニタリングし、それに応じたコントロールをおこなう認知のプロセスであると考えることができよう・・・

 


 

さて、ここまでの章において、「インテグレイティブ・ペイシェント・エクスペリエンス(IPX)」の探究及び構想に着手するに当たり、現代の医科学界(アカデミック)における様々な知的作業について「キーワード抽出(リーディングス)」しながら、IPX実現に向けての「コンテクスト・リテラシー」なるものをお届けしている。

この章を含め「全11章目」に来て再度申し上げておきたいことは、現代の情報化社会の中で見失ってはならないものが我々には在り、それは「人間理解」であると同時に「人間回帰」である。

決して、ヒューマニズムを掲げ『人間中心主義』を訴えているのではなく、上記の「メタ認知」のような、認知科学における「自己意識」の研究を概観するに、それが何らかの意味で問題とされてきたことは、これまでのところ「知覚、思考、知識構造」などの研究が主流であり、人間の自己意識そのものが認知科学のテーマとして真正面に据えられることは少なかったように思われるからである。

 

そのような傾向は、我々の日常生活とそれを取り巻くあらゆる社会的活動にも、少なからずとも影響を及ぼしながら人間を麻痺させて行く。

 

特に医療に関しては、「その社会を偽りなく写す」領域であり、如何なる知的領域(諸科学)に従事する者においても、また、一般の者においても決して見失ってはならない人間領域であることを忘れないでいただきたい。

 


 

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