統合的なヴィジョン
人類は、「古代」「呪術」「神話」を超えて、「信仰(宗教)」から「思想・哲学」を育み、そして「科学」を生みだした・・・
「知の領域(美・善・真)」の解放は、自由を手にし、そして各々の成長と発達が可能となった・・・
そして、「芸術(美)・倫理(善)・科学(真)」、つまり、相関的な「自己(私)・文化(私たち)・自然(それ、それら)」である現実世界のすべての事象(次元、リアリティー)が、自由・解放の名の元にいつしか分離し、それぞれが独自の道をたどり始めた。
ついには、世界はバラバラに引き裂かれてしまった・・・
本来、私たちの意識には、世界を観察する「四つのレンズ」が生得的に与えられている。
更に言えば、その「四つの象限(クオドラント)」には、それぞれの視点(ゾーン)を含む「八つのゾーン」が存在する・・・
今、ここでのあなたの世界(意識)には、同時進行的にそれが存在し、そのリアリティーを認識することは可能であるが、通常は多くとも二つの象限、ないし二つのゾーンでしか認識していない。
ひどい場合には、一つの象限世界に埋没している。
全象限には「進化(成長・発達)の段階(レベル)」があり、尚且つ、それぞれの「発達の流れ(ライン)」が存在する・・・
また、意識には、誰もが経験する三つの諸状態である「意識の状態(ステート)」が存在し、それぞれの状態を支える「身体」がある。
そして、以上の構成要素は各々男性性と女性性の「タイプ」を持っている・・・
しかし、それらは統合された「多/一」であり、「全体/部分」である。
現代はまさに、「古代」「呪術」「神話」の時代を超えて、「合理的世界」を築き上げた。
しかしそれは、世界が機械仕掛けではないことを認識するための、大いなる実験室(時空)の中で、またもや限界を観た。
神秘的・宗教的ドグマから抜け出しとたん、論理的・科学的手法のドグマに埋没してしまった。
そこに現れた次の神は、「偶然」という神であった。
「おっと!」という間に、宇宙が「ビックバーン」的に誕生した・・・
実験室では「偶然の神」に手を合わせ、安堵した。
ところが、「時(時間)の神」が現れ、実験室はまたもや神(偶然の神)に見放された・・・
137億年の時だけでは、消化酵素一つすらも誕生する時間が足らないことを告げるのである !!
『何かがおかしい?』(実験室)
いや、『おかしくはない!』(神殿)
神が宇宙を創造し、人間を創り給うたのだ。
ついに、神殿の巻き開始がはじまった・・・が、それは、科学の空室に神が飛び込んだ姿だった・・・
あなたの神は、この現実の物語を解決できるだろうか?
いったい、いつになれば、それぞれの神(「テーゼ」と「アンチテーゼ」)は手を携え、『エデンの園(ジンテーゼ)』を建設できるのであろうか?
それこそが、全き人間の『命題』である !!
最新の物理学では、真に神の心を私たちに示していると言う。(「ひも理論」あるいはより正確には「M理論」として知られている。)
なるほどそうかもしれないが、それは神が塵について考えている時だけの話だ。
そこで、統合的な物理学の重要性を無視することなく、こう問うてみよう。
ただの宇宙ではなく、コスモスの理論というものがありうるだろうか・・・?
ほんものの「万物の理論」というものがありうるだろうか・・・?
こうした問いを発すること自体、意味があるのだろうか・・・?
で、私たちはどこからはじめるべきなのか・・・?
ほんものの万物の理論、「統合的なヴィジョン(インテグラル・ヴィジョン)」は、
自己、文化、そして自然の中で現われているままの、物質、身体、心、魂、霊性を包括することを試みる、総合的で、バランスがとれた、包括的なものであろうとする理論である。
それゆえその理論は科学、芸術、そして道徳を含むものであり、物理学から霊性までの学問分野、生物学から美学、社会学そして瞑想的な祈りまでを包括する。
それらは、統合的政治学、統合的医学、統合的ビジネス、統合的霊性・・・・・などにおいて姿を現すのである。
「インテグラル・ヴィジョン」は・・・
私たちの仕事や生活や運命を、より全体的で、より断片的でないものにしてくれる「ほんものの万物の理論」なのだ。
今後も、「今日までたどってきた道、すなわち断片化と疎外の道」を探ってゆくか、
それとも、「統合的で包括的に向かうオルタナティヴ(代替的)な道」を探るのか、
[ 関連テクスト ]
・コンテクスト・リテラシー
・現代の『テーゼ(命題)』
・統合的なヴィジョン(インテグラル・ヴィジョン)
・養生世紀への招待
・ESSENTIAL∞TAO